ベルギー保存鉄道をたずねて
2005年10月 畑川政勝
鉄道模型紀行Ⅰおよびヨーロッパナロー鉄道の旅、イギリス保存鉄道の旅の著者 畑川氏からまたまた原稿を頂戴しました。今回は2005年秋にベルギーを旅行された際のお話です。
ドイツ、スイス、フランスなどの訪問記はよく目にしますがベルギーというのは滅多にお目にかかれません。相変わらず一人旅で遭遇したさまざまな出会いが、肩肘張らない平易な文章でつづられており、好ましいエッセイだと思います。
なお本文は頂戴した原文をそのまま掲載しておりますので地名カナ表示その他一般的で無いものもあるかもしれませんがご容赦。掲載写真も本人に了承を得たうえでの公開でございます。 末尾に著者のアドレスを記載しております。ご感想などございましたらお送り下さい。
出発
ベルギーにも保存鉄道があるとのこと。オランダやルクセンブルクも近いので鉄道旅行に向いていると思い、ベルギーの首都ブリュッセルにホテルを取る。(インターネットの日本のサイトで)
今回の旅行はトラブルが多かった。これも何かの参考になるかと思うので少し書いてみる。
飛行機の横の席はドイツ人だった。以前にドレスデンやベルニゲローデに狭軌の鉄道を見に行ったことがあると話をしていたら、Do you like
trouble? と聞かれた。実際はトラベルと言っているのだろうけれど、私にはトラブルに聞こえる。返事にとまどったがこれが今回の旅行のトラブルを暗示していた。飛行機は初めから遅れてアムステルダムのスキポール空港に到着した。ここからベルギー行きの飛行機に乗り換えるがすでに乗換時間を過ぎている。空港内を走って何とか間に合ったがあせった。しかし解った事は預けた荷物も飛行機から飛行機に積み替える時間が必要なので、遅れた場合も次の便がすぐに飛び立つことはないのだ。
やがてブリュッセル空港に到着。ここからベルギー国鉄で市内に行くはずだったが、切符を買おうとして国鉄がストだということが解った。バスで行けと駅員が言うのでバス乗り場に行ったがバスが来ない。日本人も何人かが迷っている。お互いに情報をやりとりしてやがてバスも市電もストだと解りタクシー相乗りでやっとホテルに着く。しかしどこにもストという表示はないし案内する人も居ないのだ。まいった。
保存鉄道への道
翌日はスト解除でいよいよ目的の保存鉄道CFV3C鉄道(3峡谷鉄道)に向かう。ブリュッセル駅の24番線で列車を待つ。放送はオランダ語とフランス語だ。表示もそうだ。全然解らない。時間になっても列車が来ない、と思った途端に人々が階段を降り始めた。違うホームに列車が入るらしい。すぐ後を追う。そのホームにはすでに列車は入っていた。ヨーロッパの常で発車の放送もなければベルも鳴らないので、取り敢えず近くのドアに乗り込む。すると列車は音もなく動き出した。
全て2階建ての8両くらいの編成で1等車の2階に陣取る。机の付いた良い席であるが、2階は車両限界のために上が狭くなっている。窓ガラスがカーブしていて白い机がガラスに映り実に車窓を見難い。手を置くと凹面鏡の効果で拡大して窓に映り、面白いが外が見えない。そこで1階の席に移る
やがて数分遅れて乗換駅に到着、大きな駅でホームが沢山あり乗換列車を探す、というより人の後に付いて走りながら、間違わないように行き先表示を探す。違う列車に乗る人に付いていったら大変だから! これも無事に乗れた。ローカル線なのだが綺麗な新型ディーゼルカーで、イスは日本の特急並だ。やがてCFV3C鉄道のあるMariembourg駅に到着
CFV3C鉄道を探す
小さいが綺麗な駅だ。駅前から保存鉄道が出ていると思ったが無い。駅員に聞いたがこの辺はフランス語しか通じない。しかし、ワン、ツー、スリー、レフトと言ってくれたので、3つ目の角を左に曲がればよいことが解った。私の単語だけの英語と同程度のレベルだ。二つ目の角まできたら三つ又状になっていて3つ目がどれを指すのか解らない。また人を捜して聞くが、英語は通じない。こういう時はネクタイをして教養のありそうな人を捜すのがよい。来た来た、英語が出来る!大正解。言葉だけでなく、紙を渡して地図を描いて貰う。そこから結構離れていたのでこれがすごく役立った。
ベルギーという国はオランダやドイツ、フランスに挟まれていて、言語はオランダ語、フランス語が主で、それにスペイン語やドイツ語が続き、その後で英語という重要性らしい。それで一般人は英語を話す人が少ない。でも、車掌やホテル、大都市の店ではもちろん英語が通じる。
CFV3C鉄道に到着(Marienbourg 3
Valees駅)
やがて大きな扇形機関庫が見えてきた。思わず嬉しくなってくる。どうも昔の国鉄の施設、線路を保存している鉄道のようだ。そして土日しか運転していない。入ったところにある売店で切符を買おうとしたら、やはりフランス語のみ。雰囲気で今日は運転しないと言うのが解る。土曜日だったので運転するはずだと食い下がると、蒸気機関車は日曜のみで今日は無い。気動車のみ運転するという事だった。インターネットで調べて大体は解っていたが、蒸気機関車をVepeurと言い気動車をAotorailと言うのを知らなかった。しかしよく見ればAoutorailがレールバスのことは直ぐ解るのだが、さすがVapeurは解らなかった。
でも私は古い気動車が好きだから蒸気機関車が走らなくても構わない。構内には、古い客車や赤や青の気動車、01のような大型蒸気機関車がある。
写真を撮っていると、おばさんが歩いてきた。私は英語が少し話せるので説明しましょうと色々説明してくれた。そして主人も英語が話せて運転士をしているので、良く言っておきますとのこと。
出発
その運転士が来た。何でも聞けとのことで、いよいよ赤い気動車に乗り込む。老車掌が -またこれが様になっているのだが- 切符を売りに来る。この人はまったく英語は分からない
路線は14km程度で30分近くかけて走る。 ごとんごとん、まさにローカル線の極みだ。客は私以外に子供連れが一組のみ。なんでも先週はフェスティバルがあり、各国の車両、蒸気機関車を走らせたので色々な国から沢山の人が集まったとのこと。その時来れば良かったのにとか言われたが、こののんびりさも棄てがたい。
やがて踏切がある。なんと線路に向かって一旦停止の標識がある。
気動車は一旦停止。するともう一人乗っていた若い運転士が停止標識を持って降りて、道路の車を止めに行った。そして気動車はゆっくり踏切を渡った後、若い運転士を乗せてまた走り出した
路線は低い山間もあるがほとんど平坦である。3峡谷鉄道というからには、すごい谷間を想像していたが、川が3つあるからだと言う。川と行っても小川で、牛や馬がのんびり昼寝している風景だった。途中駅で団体さんが10人ぐらい乗り込んできた。その駅で反対側のホームから駅舎を入れて写真を撮れば、とかサービスがよい。やがて終着駅に着いた。
終着駅(Teignes駅)
終着駅には機関車のミュージアムがある。大きくはないが沢山の気動車や蒸気機関車、スティームトラム、電気機関車、客車などなど、ぎっしり詰め込まれてあった。通路などもベンチが置かれ植木もあって綺麗にしてあるのだが、そのために写真を撮るには狭すぎてあまり撮れなかった。
ここの売店で昼食を取ったが、若いおねーさん達3人とも英語はからきしダメ。手真似で食べるものはないか、といったらチーズを見せたのでチーズはいらない、サンドイッチは無いかと言うとサンドイッチは通じた。チーズのサンドイッチを作ろうと思ってチーズを見せてくれたのだった。そしてポタージュはすぐに通じた、これはフランス語だから。
と、まあ昼食一つでも面白い。ここにはメルクリンのレイアウトもあり、いくつか車両を売っていた。この鉄道のDVDも売っていて買おうと思ったが、おねーさんたちが食事を始めたので中断させるのも悪いと思い買わなかったら、他では買うことが出来なかった。残念。
この横に車庫がある。その中で何人かが作業をしている。さきほどの若い運転士もいた。この鉄道はボランティアで運営されていて、彼も車両の整備に来たのだった。ミュージアムに展示されているジーゼルカーを手で押して車庫に持ってきて部品を外し溶接をしていた。老車掌も英語を話せる運転士も皆ボランティアである。
先日テレビで青森の南部縦貫鉄道にボランティアで整備に行っている人たちを放映していたが(友人がいてびっくりした)、こういうボランティアをする人がいて保存鉄道が成り立つのだとつくづく感激した。
この駅にも01クラスの蒸気機関車があり、ピカピカに整備されていた。これも運転するのであろう。そして、すこし離れたところには、たくさんの蒸気機関車の廃車の山。タンクロコありテンダー機あり。
それぐらい広い構内だった。今やJRでもこのように広い構内は無くなりつつあり残念な限りだがやむを得まい。
帰途
帰りの客は私一人だった。来るときにカメラを持って前方を写していたら、途中から運転台の横に座れと運転室内に入っていたので、今度はゆっくり窓から景色でも見ようかと、座席に座っていた、すると又、運転室においで、その方が良く写真が撮れると親切この上ない。で、又運転室に座り込む。相変わらず踏みきりでは一旦停止するのであるが、今度は運転士以外に老車掌しか乗っていないので、車両と地面との段差が高くて降りて車を止められない。そこで、ゆっくりゆっくり横を見ながら踏切を越す。よっぽど私が降りて交通整理をやろうかと言いたかった。あー、言えば良かった。珍しい体験が出来たのに。
やがて唯一のトンネルを越す。出口付近でゆっくりになって来た。そしてトンネルを出たところで止まった。何だろう?と思った。すると、降りて前から写真を撮れ。すごく良いシチュエーションだからとのこと。ドアを開けて線路に飛び降り気動車の前に行く。ヘッドライトを点けてトンネルをバックに2~3枚シャッターを切る。しかし、後から見ると同じ写真ばかりだ。ちょっと場所を変えて撮ればよいのに、列車を止めて写真を撮るので、遅れたら悪いと気が焦ったのだろう。例え10分や20分遅れても問題ないのに。
列車に戻ると、高い床に上がるのに老車掌が手を差し伸べてくれた。でもそれに掴まると2人とも転げ落ちそうなので止めた。でもせっかくなので上がってから少し手をつかんだ。色々気を使っているのです。
始発駅到着
列車は元の駅に戻ってきた。運転士さんや老車掌さんと別れの挨拶をする、2人とも喜んでくれていた。
扇形機関庫の扉は行くときは閉まっていたが、今度は開いていた。中には整備中のタンクロコやジーゼルロコが数台あった。子供を連れたおかーさんも来ていた。
機関庫の裏は広い草原だった。そこから留置してある車両群を見るのは爽快だった。
マリエンバークの街
来るときに、CFV3V鉄道を探しながら急いで歩いたが、今度はゆっくり街を見ながら歩く。のんびりしていて気持ちがよい。この辺りのごく普通の景色を写そうと落ち葉を掃除している老婦人にカメラを向けようと思ったら、横にいたおじさんが撮っていいよという仕草をするので写した。帰りの列車まで時間があるので公園にいると偶然その人達が通りかかった。親子だったようで。向こうから声をかけてきた。さっき逢ったねと、じゃあもう一度記念写真を撮ろうかと言うと、2人で並んでくれた。もちろん、フランス語と日本語でやりとりであるが、こうやって親しく声をかけてくれると旅行に来た甲斐がある。運転士達といいこの人達と言い。ここは良い街だ。
ブリュッセルに戻る
乗換駅でブリュッセル行きを待っていた。時間を過ぎても来ない。10分、20分。放送はあるのだが例によってオランダ語とフランス語で解らない。待っている人もざわめいている。イギリス人だろうか、Can
you speak
English?と言って英語が出来る人に事情を聞こうとしている。30分経ち次の列車が来る時間になったので皆そちらのホームに移動し出した。ついて行くが、前の列車が来ないのに来るわけがない。そこで、遠回りの路線があるので、そちらから帰ろうと違うホームに行く。その列車が来る直前に、元のホームの人影が増えた。そこで遅れている列車が来るのだろうと、又元のホームに戻る。電車が来ると放送された。一斉に拍手がわき起こった。1時間遅れだった。私と同じようにホームをうろうろしていた中国人(?)も私と顔を見合わせて、にこっとした。
またまたトラブルだったが、親切にして貰ったこともトラブルも、それぞれ楽しい旅行の思い出だった。
読んで頂いて メルシー 完
畑川
政勝 (1945年生まれ) Email hatagawamasa@yahoo.co.jp
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